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ふりーむ!さんについたコメントで『ペイントレッド記念館』の「ラストが必要ないのではないか」と思われているようなので(それでもいいのですが)、もし「あの最後が納得できない」とか「なにか解釈がつけれるのか」とかさらに思ってくれている方がおられたら、この記事を読むとちょっとすっきりするかもしれません。本当は説明なしで(作品の在り方だけで)理解されるものを作らないとダメ作者なのですが。
■ゲーム内ゲームというメタフィクションについて 不勉強なので専門的に語れるわけではないのですが、自分が利用する際の「メタフィクション」的な技法というものについてちょっと書きたいと思います。 「メタフィクション」というものについてウィキペディアから数文引用すると、 メタフィクションは、それが作り話であるということを意図的に(しばしば自己言及的に)読者に気付かせることで、虚構と現実の関係について問題を提示する。 ここで大事なのは「虚構と現実の関係」というところで、『ペイントレッド記念館』でもやはりそこを強調するために「ゲーム内ゲーム」という方法を使っています。 ■おおまかな解釈 『ペイントレッド記念館』の大雑把な意味での内容は「だれか(操作キャラ)がなんらかの『記念館』を訪れ、そこで『記念館』の展示対象人物F氏の日記やだれかの手記など、テクストを読んでゆく。やがて男は鏡と向かい合って、そこでその世界(あるいは画面)は停止し、それがゲームであったことがプレイヤー(あなた)に判明。そのゲームをプレイしていたプレイヤー(この人はそれがゲームであることをはじめから知っている)に『なにこのゲーム、わけわかんない』と言われる」というものです。 現実でのプレイヤー(つまりあなた)に記念館でのことがゲームであったことがわかった後のことをみなさん「ラスト」というのですよね(?)。そういうことで話をすすめます。 まず、ラスト以前について、ここではF氏の日記とだれかの手記を読むことがほとんどで、とうぜんそこに記されていることが大事なわけですが、この大事というのは「どういうシナリオ」か理解するために大事というより、「どういうゲーム」か理解するために大事なものなのです。たとえば以下に日記と手記から数文引いてみます。 ①ただでさえおかしい頭が、いっそうおかしくなりそうだ ②だが、ときどきまったく病人だとは思えないのがいるのだ 「じっさい、外の人間もかわらないんだよ」 ③あるときは私がヘルスの姿をしている いいや、私の精神は病気でなく、ただただ衰弱しているのだ 時間、日付がわからなくなって、記憶力がおちたように思う ⑤私をおかしいというやつは自分のおかしさに気づいてない ⑥なぜ私には……この部屋のようすがわかるのだろう? ⑦私が私でないようなきがする 自分の顔も忘れてしまうなんて! あのひとも、そのひとも、私とおなじ顔でないとはいえない 私がつねに二人いるってわけ! ※⑦は手記のことです。日記④はありません。 読んでいただければおわかりのとおり、F氏は狂人です。そして「手記」は化粧がどうというくだりから「おそらくヘルスのものだ」と予想がつくでしょうが、答えを単純に言ってしまうとF氏=ヘルスです。狂人が自分が誰か忘れ、一人何役もしています。つまりF氏の日記①~⑥だって、書いている本人はどこまで過去を確信しているか、自分がなにものであるのか知らないという可能性もあります。 ところで、これがなぜ「どういうゲーム」か理解するために重要なことかといいますと、まずとくに注目すべき手記は②と⑤と⑥です。 ②+⑤で「病人だと思えない」+「外の人間もかわらない」+「私をおかしいというやつは……」で、つまり狂人はF氏やそこにいた人間だけではないということを示しています。もっというと、外の人間=ゲーム内プレイヤー(ラストの人物)です。 ⑥では「この部屋の様子がわかる」とあり、これもまたメタな記述。『ペイントレッド記念館』では、ゲーム内の操作人物視点では画面内にあるものをすべて見ることができるということを示しています。ただしラストだけ見えているのか見えていないのかはっきりしない。 ここまで読んでいただければ勘の鋭い方はもう充分だとお思いかもしれません。すなわち、ゲーム内ゲーム(タイトル不詳のそれ)は、ゲーム内プレイヤーが狂人(あるいは自分というもののおかしさに気づいていない人)であることを引き立てるためにあるのであって、ゲーム内ゲームで起こった出来事(F氏やヘルスの真実)を想像すること自体はわりとどうでもいいのです。問題は、ゲームのプレイヤーもまたゲームの登場人物であり、しかしそれに気づいていないということです。ラストこそもっとも重要な鍵なのです。 操作キャラであるだれかが鏡と向かい合わせになってゲーム内プレイヤーの視点に画面が飛ぶというのは「F氏=ヘルス、操作キャラ=ゲーム内プレイヤー」という対応関係のためであり、また、操作キャラはF氏と同層(つまりゲーム内ゲーム)にいるのだから、ゲーム内プレイヤーははたしてゲーム内ゲームの外にいるのかそれとも内にいるのか? となるとはたまた考えが広がるわけです。『ペイントレッド記念館』をプレイしている「あなた」がいるわけです。あなたのPCのなかに『ペイントレッド記念館』があり、そのゲーム内プレイヤーの部屋(じつはヘルスの部屋と同じ造りの部屋)にPCがあり、ゲーム内ゲームのなかにもPC(パスワード管理のあれ)があります。つまり「マトリックスのなかのマトリックスのなかのマトリックスのなかの……」みたいな、何重もの入れ子構造を暗示しているわけです(『マトリックス』は映画を観てください)。 もうここまで書けば理解していただけたでしょう。 ですから、あのラストがなければゲームとして完成していないのです。蛇足があるとすれば、パスワードを入れる手続きが持つ意味の薄さと、こんな説明しすぎな記事を書いてしまったということ……。あと、上記解釈を強くするためにはゲーム内プレイヤーを動かせないというのはひとつの失敗だったかもしれません、今後の課題です。 PR |
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む……難しい。メタ・フィクションとはこのように難しいものでしたか。
ラストは良かったと感じたものの、本編はよく分からなかった私です。メタ・フィクションだったんですかぁ……(いや、それでもまだ良く理解できていない。読解力の少ないので) ラスト、クライマックスにゆくにつれて、メタな展開(メタを示す事柄・材料)が過密になってゆくと、ありがたかったと思いました。そしてラストに到達する、もうそこでは、いかに読者がメタ・フィクションに疎くとも、「これは普通のゲームでは(物語では)ありえない」という露わになった一撃につながる……と、良いかもしれない。なんて感じました。 今の私には難しい作品でありました……。
【2014/07/01 18:12】| | パンサー #7dc48af8fc [ 編集 ]
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コメントありがとうございます!
理解という言葉を自分も使っていますが、本当は正しい読み解きみたいなもの、ありませんので、プレイヤーみなさん感じたようにとっていただければ良いと思っています。ここで説明したのはあくまで一つの解釈にすぎません。 メタ・フィクションという言葉もだいぶ使ってしまいましたが、僕が思うメタ・フィクションであって、もっと学問的に研究なさっておられる方々からしたら意味わからないのかもしれません。メタ・フィクションとはこのようなものか……とは、僕の説明から解さないほうがよろしいかと思われます(汗 また、展開・演出方法についての助言ありがとうございます! たしかにメタを示す根拠がすくなかったかもしれません。とくにゲームのなかのゲームという構造について、突然だったかもしれません……。
【2014/07/01 22:28】| | Pinkgoat #56ae4c9fd7 [ 編集 ]
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