| 
									 「彼の最初の恋人は客の消えるブティックのえじきに……」 フラミンゴ男はよくそうやって噂された。でもそれは嘘だ。彼は知っていた、恋人は彼に愛想をつかして勝手に自分で消えたのである。 店では楽しげな曲が流れていた、それで彼はダンスせずにいられないでいた。 「どうして踊らないんだ」フラミンゴ男は野次馬に向かって言った。「こんな楽しいのに!」 ステップを踏むたび、彼の前歯が揺れた。ひとつだけ、ずっと乳歯だったのだ。それがここ数日のあいだに生え変わろうとする予兆を見せはじめていた。 派手な格好をした女が歩いた。 楽しい? いま、幸せなの? ラジオがガーガーいってる。 だれも止めようとしない。 世の中にはありふれた励ましの言葉があふれてるってね。昔、フラミンゴ男は思っていたよ「そんなくだらんことばかり」って……だけどあるとき気づいてしまった、じつはありふれたもののほうがずっとありふれていないんだって、なにより楽しいんだって。 すごくまじめな人がいたとしよう。たとえば彼は右の頬を殴られると、左の頬を差し出してしまう。こういうやりかたってね、じつは憎しみの一種としてありえることがあるらしい。つまり、本当はこう言っておくべきだった「右の頬を打たれれば、つぎの一手にそなえなさい」って……何度も殴ろうとする人びと、その拳が飛んでくる……よけろよけろ、いつかおたがい馬鹿馬鹿しくなっちまうまで、よけつづけるんだ、ピンポン玉だと思って、必死に……。 そんなのがいい。 きっと馬鹿なやりかたが一番、楽しい。 フラミンゴ男のフラメンコはたぶん世界でもっとも美しい遊びのなかで、とくにきわだって美しいものにちがいない。彼は自分でそう思ってる。そうでないなら踊る意味なんてあるだろうか、いや、ある……楽しければいい、なんだって。 たとえばそれはドラマという形をとる。シアトリカルなギャグなのだ。まるで彼が世界の主人公になってしまったみたいな、そういう倒錯だ、それはおいしいウイスキーに似ている。 あるいはきれいな虫などに。 My Very グラグラ PR  | 
							
| 
								 | 
						

